e122113’s diary

大学生。将来は地域に根ざした教員。今は自分の発見をアウトプットするためにブログを書いています。内容は適当ですが、アドバイスや感想などがありましたら、教えていただきたいです。

新聞は中立性を保たないといけないのか?

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  1. 新聞に間違いがある。しかし訂正しないのが新聞。

新聞は全て正しい。こんな事はありゃしない。新聞も人間の書く事だ。新聞も間違いがある。しかし訂正しないのが新聞の悪いところかも知れない。
新聞の内部で次の事が起きている。

あのスクープはちょっと違ったのでは?
そろそろ取材したところから抗議の文章が送られるかも知れない。
新聞に訂正文を書いたら誤り認めているが、会社の信用は失う。また、記事を書い書いた自分の信用も失う。だからこそ、謝罪の電話や手紙を送って、内部だけで解決すればいい。
こんな事はすくなくない。
一般市民には気づかれない。新聞会社は自社の販売数を確保しようと必死だ。
簡単に信用を落とせない。だからこそこの手が有効だ。


  • 新聞は偏ってもいい?テレビは?

日本には大手の新聞から地方の新聞まで幅広く存在する。

そのなかで、論調が異なっているのは、ご存知の方もいるかも知れない。

新聞は偏ってもいいのだろうか?

辺野古移設問題に関しても、地元の沖縄タイムス琉球新報は、地元よりの報道をする。当然であろう。

一方、読売、産経などは政府主体で書かれており、沖縄2紙とは異なる。

一応これは問題ないらしい。
法律で決めているわけではないからだ。しかしながら日本新聞協会は公正で確実な報道をしなさいと、決まりを1946年7月に発表した。

同じ報道でも、
テレビは中立性を守らないといけない。
公共の限られた資源である電波をつかっているからだそうだ。
放送法にも、政治的に公平である事が明記されている。